・・電池が切れるまで(3年:道徳)・・  〓

 

 1998年、11歳で亡くなった宮越由貴奈さんの「命」の詩を読んだ。亡くなる4ヶ月前の作品である。

 その時、「電池がきれるまでの仲間たち」の本も紹介し、由貴奈さんのお母さんの言葉や詩も読み聞かせた。子ども達はいつになく神妙な面持ちで聞き入っていた。

 生きたくても生きられなかった同世代の由貴奈さんの気持ちに寄り添い、彼女を見守るお母さんの気持ちも想像しながら、命についての考えを深めることができた。



 

【子ども達の感想】
(道徳ノートより)

4ヶ月後に亡くなって、とても悲しかった。私は由貴奈さんのような亡くなり方は嫌だと思った。

由貴奈さんは最後まで諦めないでいたのですごいなと思った。

命は一瞬一瞬大切に使おうと思った。命がある限り、勉強をしたり遊んだりしたい。

これから私は自分の生きるめあてをもって、少しずつの時間を大切にして生きていきたい。

私は障害もないし、五体満足で本当に良かったと思った。これからも命を大切にして、目標や夢をもって生きたい。

宮越由貴奈さんは病気で辛いのに勉強したりして命を最後まで大切に使っていることが分かったので、僕も最後まで命を大切に使いたい。

生きる日が少なくてかわいそうだった。自分は入院や手術はしたくない。成功や失敗も人それぞれなのが分かった。

私は五体満足で生まれたけど、そうじゃない人もいるから、そんな人の事を考えたい。将来の夢はまだ決めていないけど、たくさん目標をもって命を大切にしたい。

余命宣告されても、たとえ1週間でも楽しく満足できるように生きたい。手術はしたくないけど、生きられるなら何でもしようと思った。

命を大切にしたい。由貴奈さんのお母さんは、由貴奈さんが亡くなって悲しいと思った。

命を大切にしない人とする人がいるんだなと思った。私も命を無駄にしないで1秒1秒を大切にしたい。

自分が本当に死んだら、(臓器を)あげたい。

命はすごくすごく大事と思った。病気の人はすごく頑張っていると分かって感心した。

今、面倒くさがり屋なので直したい。

宮越由貴奈さんは、辛い思いをしながら生きた。私も命を守って生きたい。

由貴奈さんは3回も手術をしたのに、お母さんに心配をかけたくなくて、自分から「頑張って来るね。」と言えたのですごい。もし私だったら言えないと思う。笑って言えるのが本当にうらやましい。

詩を作った4ヶ月後に亡くなったので僕も悲しくなった。命は大切なんだなと思った。

宮越由貴奈さんは手術が恐くても、お母さんが困らないように笑ってすごいなと思った。

1日1日を楽しく暮らしたい。

命はとても大切だと思った。残っている命を1秒1秒楽しく過ごしたい。

亡くなってかわいそうだった。私は命が切れるまで生きたい。

私は元気に生まれて良かったと思う。由貴奈さんも夢があったと思う。由貴奈さんの分も長生きしたい。

僕は五体満足だけど、病気とかで違う人もいるので、もし会ったりしたら優しくしたい。病気で闘っている人もいるので時間を大切にしたい。

私は1秒1秒目標をもって生きたい。

僕も手術するのは嫌だけど、もしそんな事があったら宮越由貴奈さんのようにお母さんやお父さんを安心させてから手術を受けたい。


 命とは、一人一人に残された時間のことなのだと話した。日野原重明さんの言葉だ。どんな人でも一刻一刻、死に向かってカウントダウンは始まっている。残された時間をどう使うかで、生に命が吹き込まれるのだと、そんなことを話した。

 自分は生まれつき目が悪いのだが、五体満足なのかと質問した子どもがいた。「五体満足」とは、何と無邪気で切ない、罪ある言葉なのかと思った。由貴奈さんのように大変な病気と向き合い生きることになったとしても、それでも「五体満足ではない。」なんてことはないと私には思える。・・・人より短くても、苦しいことが多くても、それがその人の生だ。与えられた生を最後まで真剣に生ききるからこそ命は尊いんだと思う。子どもには言わなかったが、「由貴奈さんはかわいそう。」などという感想にも、やっぱり違和感を禁じ得なかった。

 質問した子には、「お母さんの詩の中には〜五体満足でない子〜というくだりが出てきたが、みんなみんなその人だけの尊い生を生きてるんだよ、誰もが五体満足なんだよ。」と話した。


 普段,元気いっぱいの子ども達だが、こうやって命について、じっくり考える時間をもつことができ、良かったと思う。


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Last Update : 1/Feb/2016
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