徳山毛利家墓所(山口県周南市)
<周南市指定文化財>

入口
 初代徳山藩主 毛利就隆(なりたか)以降の当主と妻子の墓96基がある。

 ちなみに、当主達の子の数は、総勢120人なんだそうだ。

 2010年5月に、東京に住んでいた第13代が亡くなったので、新しい墓も建てられた。

 この墓所が造られた当初、分家でありながらあまりに立派な墓所を造ったので、萩本家の怒りを買い、ここを取り壊すか、徳山藩を取り潰すか迫られた。そこで周辺の松をごっそり伐採し、許してもらったという。


 
初代就隆(なりたか)の墓
 毛利就隆は毛利輝元の次男(母は側室:児玉元良の女。就隆3歳で永眠)で1602年生まれ。都濃・熊毛郡内を治めた(約3万石)。

 初め下松に館を構えた(1631年)が、慶安3年(1650年)、野上に移り、地名を徳山と改めた。


三、四、五代当主の墓

  「寛政」や「天保」等々、様々な年号が墓石の側面に彫られていた。平成建立の墓もあった。

就隆側室(戒名:周慶大姉、三代元次の母)の墓

就隆の墓のすぐ裏手、就隆より一段高い所にあった。

 ↓こちらは、まるで井戸の上?
 ↑全ての墓碑入口の石には、
    家紋(裏紋の「おもだか紋」)が彫られていた。

いろいろなタイプの墓石や塔があった。

  

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