大内義長・豊永長吉・三吉周亮の墓 (下関市 金山功山寺)


大内義長の墓
 義長は、陶晴賢の傀儡、大内家最後の当主。大友氏第20代大友義鑑の次男で義隆の姉の子。長福寺(功山寺)で自刃した。

 あまりにひっそりと建っているので意外だった。

豊永長吉の墓
 印藤聿(いんどう のぶる)
 元長府毛利藩士。毛利元周(もとかね)の側近。
 
 文久3年(1863)頃から坂本龍馬と交流。印藤宛の龍馬書簡をには、宛名が「印藤大将軍陣下」となっているものがあり、2人の親交の深さが伺える。

 慶応2年(1866)正月元旦、薩長同盟の成否確認のために上京しようとする龍馬に、福永専助宅で三吉慎蔵を紹介。龍馬は長崎亀山焼の飯椀と湯呑を印藤に贈った。(長府博物館蔵)

 廃藩置県後、商人になり、塩田を開き、門司築港会社や製紙会社、銀行など設立。生活に困窮した士族や、経済的な理由で上級学校へ進めない若者も援助した。
 
 墓碑側面には、山縣有朋の歌「逢ふことに國とまさんと いひしこと なほ まのあたり きくここちする」が刻まれている。


三吉周亮の墓

長府藩家老 三吉周亮の墓






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