墓所32(長門市)


俊寛の墓
 俊寛は、村上源氏の流れを汲む平安時代の僧都。「鹿ヶ谷の陰謀」で失脚し、鬼界島(薩摩)へ流刑となった。

 後年、鬼界島で亡くなった俊寛の遺骨を、亀王が拾って持ち帰ろうとしたところ、音信川畔のこの地で急に骨が重くなり亀王が歩けなくなったため、ここに遺骨を葬ったのだという。

 近くの亀田家は永年墓守となり、現在24代目なのだそうだ。


音信川



椙杜元位の墓
江良:光浄寺墓地)

 椙杜元位は江良で亡くなり、椙杜家は断絶した。ここに眠る椙杜元位は、近松の甥とされている。
 近松門左衛門(1653−1724)の出自は謎に包まれているが、長門市には、彼が深川の江良(えら)の生まれだという言い伝えがある。本名は、椙杜信盛。父は長州藩士 椙杜広品(すぎもり ひろかず)、母は、彼の身の回りの世話をしていた女性だと言われている。
 そして今でも江良には椙杜家の屋敷跡が残っており、江良ではこれを「近松屋敷」と呼んでいる。

 
「江良はよいとこ近松生んで、柿もよいとこ、えらいとこ」

光浄寺










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